【感想】宮本 輝「星々の悲しみ」【あらすじ付き】

スポンサーリンク
ひとり言
スポンサーリンク

ご挨拶

こんにちは、こんばんは、ちまです。
先日満開になったかと思った桜があっという間に葉桜になり始めましたね。
今日お話しするのは、宮本輝さんの「星々の悲しみ」です。

スポンサーリンク

あらすじ

喫茶店に掛けてあった絵を盗み出す予備校生たち、アルバイトで西瓜(すいか)を売る高校生、蝶の標本をコレクションする散髪屋―。若さ故の熱気と闇に突き動かされながら、生きることの理由を求め続ける青年たち。永遠に変らぬ青春の美しさ、悲しさ、残酷さを、みごとな物語と透徹したまなざしで描く傑作短篇集。

スポンサーリンク

ひとり言

宮本 輝さんの 「星々の悲しみ」を読みました。
20歳前の「志水」を主人公とした小説です。
志水は高校を卒業し予備校に入ります。けれども勉強に興味が持てず、予備校にも通わず図書館へ通い続けます。そしてひたすら小説を読むのです。
そんな日常の中、志水は有吉と草間という二人の予備校生と知り合います。有吉と草間は二人とも医学部志望で、有吉は2枚目で秀才、一方の草間は3枚目で成績は中位という存在です。そして三人で「じゃこう」という喫茶店に行くのが日課のようになります。
その喫茶店には一枚の絵が飾られていました。本文ではその絵を次のように表現されています。
「葉の茂った大木の下で少年がひとり眠っている。少年は麦わら帽子を顔にのせ両手を腹のところにおいて眠りこんでいるのである。大木の傍らに自転車が停めてあり、初夏の昼下がりらしい陽光がまわりを照らしている。さやかに風が吹いているのか、葉という葉がかすかに右から左へとなびいている。それだけの絵だった」絵の下に絵の題と作者名が書かれ「星々の悲しみ」島崎久男1960年没、享年20とある。
この絵を見て、木陰で眠る少年の絵がなぜ星々の悲しみなのかと、この絵に興味を持った三人は、この絵を盗み出し志水の部屋に飾ります。そしてその後新聞で、画家の島崎久男は幼い頃から腎臓(じんぞう)を病み、長い闘病生活の末に逝った青年だと知るのです。
そうした中、初めて絵を見たとき「20歳で死んでしもうたんか・・・」と言った有吉が体調を崩し入院し、がんの為に19歳で亡くなります。
亡くなる20日前の病院での次のような有吉と志水とのやりとりに、「生」と「死」の儚さや不条理な運命のいたずらを強く感じました。
『11月のある日。初冬の夕日が落ちてきていた。有吉はあおむけに寝て、首を窓にむけたまま、ぼくに話しかけようともせず、じっと暮れなずむ空に向けていた。「俺、なにをやっても、あいつには勝たれへんような気がしてたけど、やっぱりそうやったなあ」。と有吉がつぶやく。でも「草間のやつ、俺の妹に気があるんやけど、妹はお前のことが好きなんや」というと。いきなり、有吉は「―――俺は、犬猫以下の人間や」と叫ぶ。』
自分では何の対策を講じることも出来ず、天寿を全うすることのできないもどかしさから出た有吉の心の叫びだと思いました。
「星々の悲しみ」を残し20歳で夭折した画家の島崎久男もまた、有吉と似たやり切れぬ思いがあったのではないでしょうか。それが彼にこの絵を描かせたのではと思いました。自分ではどうしようもない状況に陥った時、最後に人は何にすがれば救われるのかを考えさせられました。祈ることしか出来ないのでしょうか。
その後新聞に小さく、絵の盗難が報じられます。志水は絵を返さなければと、冬の早朝、妹の助けを借りて100号の重い絵を自転車の荷台に積んで「じゃこう」へ返しに行きます。そして絵を喫茶店の昇り口に置くと全速力で逃げ去るのです。
絵を返し終えた帰り道、志水は、有吉の見舞いに行った時に、弱った彼が最後に自分に見せた笑顔を思い出します。絵を返し終えたことで、有吉が居なくなったということがやっと実感できたのではないかと思いました。
読み終えてしばらくすると様々な場面が思い起こされ、その場面場面で「病」や「死」の無常さを感じ、それと同時に、若さゆえの逞しさも感じました。
本作品の作者である宮本輝さん自身の読後の感想をお聞きしたいと思うのは、私だけでしょうか。

今日が幸せな一日でありますように。