【小説】山田 宗樹「きっと誰かが祈ってる」【感想・あらすじ】

スポンサーリンク
ひとり言
スポンサーリンク

ご挨拶

こんにちは、こんばんは、ちまです。
だいぶ前からちいかわにはまってます。特に、叫びまくるうさぎが可愛くて仕方がありません(笑)最近では100均などでもグッズが売られており、ちいかわのグッズも売っているので色々な店舗に行っては気に入ったものを買っています。
今日お話しするのは、山田宗樹さんの「きっと誰かが祈ってる」です。

スポンサーリンク

あらすじ

親の失踪や病気、生活苦、虐待、育児放棄など様々な理由で実親と暮らせないゼロ歳から二歳までの乳児が生活する乳児院が舞台です。乳児院では、一人ひとりに養育担当者を決められマザーと呼ばれ、擬似的な親子関係を築きますが、その子が二歳を迎える前にその親子関係は終わることになります。
島本温子は乳児院「双葉ハウス」に勤める保育士歴12年の保育士です。温子にも最初に担当した多喜との辛い別れがありました。
その別れから九年後、多喜が不幸になっているのではないかと察した温子は、行動を起こし多喜を命がけで救い出そうとします。
無償の愛にあふれる物語です。

スポンサーリンク

ひとり言

山田 宗樹さんの「きっと誰かが祈ってる」を読みました。
物語は、親の失踪や病気、生活苦、虐待、育児放棄など、様々な理由で親と暮らすことが出来なくなったゼロ歳から二歳までの子供たちを預かる乳児院「双葉ハウス」を舞台に進んでいきます。
島本温子は、双葉ハウスに勤める勤務歴12年の保育士です。この乳児院では、乳児一人ひとりに養育担当者が決められ、マザーと呼ばれています。マザーは、担当の乳児と実の親子ような関係で日々を過ごします。けれども、その乳児が二歳を迎える前にその関係は終わりを告げます。子供が物心がつく前の別れです。やりがいがあるけれども、必ず辛い別れが待っている仕事です。
温子も最初に担当した多喜と別れる時には、喪失感に襲われ、大泣きをして多喜を引き留めようとしました。今でも、双葉ハウスの語り草になっています。多喜という名前は、温子が心を込めて付けたものでした。
温子は自分のそうした経験から、後輩の寺尾早月がマザーとして担当している健一郎くんに、感情移入し過ぎているのを見て心配しています。
そうした中温子は、当時、引き裂かれる思いで里親に送り出した多喜がどうしているのか気になり、パソコンで多喜の名前を検索すると、思いも寄らない事実がわかります。里親と養子縁組をして幸せに暮らしていると思っていた多喜は、里親と事故で死に別れ、その後は里親の祖父と暮らしていました。多喜と別れてから九年後、多喜の現状に不安を覚えた温子は、ルール違反を承知で、多喜の現状を探ります。二歳まで親子のように過ごした多喜の幸せを願い辛い別れをした温子の、居ても立っても居られない程の不安な気持ちは痛いほどわかります。
管轄の児童相談所に行って応対した近藤和人は、忙しさを理由に冷たい対応でしたが、温子の熱意に負けて、多喜の現在の住所を調べてくれました。
多喜は、母方の祖父の久野貞蔵と暮らしていることになっていましたが、実際には、多喜は祖父の娘の浪江と暮らしていました。浪江が年金目当てで、祖父が亡くなったにも関わらず、知り合いの男性に依頼し祖父の遺体を隠蔽した現場を見た多喜は、その日から衝撃の余り声が出なくなってしまいます。緘黙と呼ばれる症状です。また大切な人との別れを余儀なくされた多喜の心情を思うと心が痛くなり、浪江の存在を不気味に感じました。
施設長から温子の独断で行なっている行為を咎められても、浪江に万引きを強要されたり、虐待を受けていることを知った温子は、何とか多喜を救い出そうと行動を起こします。多喜を思う無償の愛を力に、最後は命懸けで多喜を守ろうとします。その時、「お母さんっ」と叫びながら多喜が温子の胸に飛び込んできます、多喜の声が出るようになった瞬間です。
多喜を逃がそうと、傷だらけになりながら多喜を追う男を追おうとした温子の前に、駐在所の巡査長が現れます。児童相談所の近藤の機転で、巡査長に様子を見てくれるよう頼んでくれていたのです。愛想はないものの、要所要所で気遣いの出来る近藤を頼もしく感じました。
温子のことを母親だと思っていた多喜は、温子が実母ではないと知らされて動揺します。やっと本当の母に会えたと思った多喜の失望感は大きかったと思います。
けれども、双葉ハウスで健太郎くんの巣立ちに立ち会った多喜は、かつて自分も受けていた温子の無償の愛を肌で感じとり、自分は愛されていたことを確信し、生きていく希望を見いだします。そして、温子の手をそっと握ります。記憶はなくても、しっかりと抱きしめられ愛されたことは、肌が覚えているのだと思いました。
早月の「健一郎が自分のことを忘れても、自分は忘れない。絶対に忘れない。健一郎の幸せをずっとずっと祈っている」という最後の言葉は、マザーとしての仕事を超えた愛を感じました。そして社会にそうしたマザーの存在が必要なことを感じ、見落とされがちな乳児院の存在を多くの人に知って欲しいと思いました。全ての子供が愛に包まれた環境で育つためには、政治の力を含めた大人の力が必要不可欠です。
自分の知らない所で、自分の幸せを祈っている人がいる。愛し見守ってくれる人がいることが、人に与える影響力の大きさを強く感じた一冊でした。

今日が幸せな一日でありますようありますように。