【感想】原田 マハ「生きるぼくら」【あらすじ付き】

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ひとり言
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ご挨拶

こんにちは、こんばんは、ちまです。
暑くなってきましたね。あまりにも暑いので、部屋で使う用の扇風機を押入れから出しました。
今日お話しするのは、原田マハさんの「生きるぼくら」です。

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あらすじ

いじめから、ひきこもりとなった二十四歳の麻生人生。
頼りだった母が突然いなくなった。
残されていたのは、年賀状の束。
その中に一枚だけ記憶にある名前があった。
「もう一度会えますように。私の命が、あるうちに」
マーサばあちゃんから? 人生は四年ぶりに外へ!
祖母のいる蓼科へ向かうと、予想を覆す状況が待っていた。
人の温もりにふれ、米づくりから、大きく人生が変わっていく。

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ひとり言

原田マハさんの「生きるぼくら」を読みました。
主人公は、二十四歳の麻生人生です。彼は小学六年生の時、両親が離婚し、母子家庭で育ちました。
人生は、高校で酷い苛めにあい、十七歳になった時高校を中退します。そして就職も上手くいかず、引きこもりになってしまいます。ネットゲームに興じ、母親が買ったカップ麺やおにぎりを食べて暮らすような日々を送っていました。
そんなある日、母親は「私は、もうだめです。疲れ果てしばらく休みたいので、どこかへ行きます」との書き置きを残し、五万円と今年もらった10枚ほどの年賀状を置いて、人生が二十四歳の時、突然家を出て行ってしまいます。
この先どうしようかと途方に暮れた人生は、子供の頃家族でよく訪れていた蓼科の父方の祖母からの年賀状を見つけます。その年賀状に、「余命数ヶ月」と書かれているのを見て、人生は、祖母のいる蓼科に行こうと決心します。母親が家を出て行ったことがきっかけになり、四年間引きこもっていた人生が、引きこもりを止める瞬間でした。
十数年ぶりに再会した祖母、真朝は、認知症を患っていました。
祖母の家には、人生の父が再婚した相手の娘、二十一歳のつぼみが身を寄せていました。人生は、自分の父親が去年、病気で亡くなっていたことを初めて知ります。つぼみは相次いで両親を亡くし、対人恐怖症になっていました。マーサばあちゃんは、息子を亡くしたことに精神的ショックを受け認知症になったようでした。
人生は蓼科で、マーサばあちゃんとつぼみと三人で暮らし始めます。そして人生は、マーサばあちゃんに頼ってばかりではいけないと、清掃の仕事を始めます。
初給料で三人で食べるケーキを買い、おばあちゃんにお金を渡した時、祖母と母の姿が重なり、引きこもっていないで母にもこうすべきだったと、今までの自分を後悔します。
マーサばあちゃんは、毎年近所の人に手伝ってもらいながら、機械や農薬に頼らない手間のかかる昔ながらの手法で、米作りをしていました。けれども、今年はもう自分の体力では無理だと思い、米作りを諦めていました。
そのことを聞いて人生とつぼみは、自分達が手伝うから米作りをしたいと言います。
マーサばあちゃんの認知症が悪化していき、つぼみは、つきっきりで祖母の世話をすることになります。両親を亡くし、おばあちゃんが大好きなつぼみは献身的におばあちゃんの世話をします。
二人は、おばあちゃんの知り合いでもあり、人生が初めておばあちゃんを訪ねる時にお世話になった、食堂を営んでいる志乃さんに教えてもらいながら、米作りに取り組みます。
そうした中、人生は清掃業務の派遣先で知り合った田端さんに、東京の大学に行っている純平という息子に、田んぼを手伝わせて欲しいと頼まれます。
田端さんは、高望みして就職活動が上手くいかず精神的に疲れている純平を人生に会わせ、人生の生きざまを見せてやりたいのだと言います。
純平は、最初は文句を言いながらも田植えを手伝っていましたが、「こんな泥臭い作業なんかおれには・・・」と悪態をついて東京へ帰って行ってしまいます。
地元の人に手伝って貰いながら、人生たちの農作業は続きます。
人生とつぼみは、炎天下の中草取りをしたり、マーサばあちゃんの世話をしたりと、多忙な日々を送ります。皆の努力の甲斐もあって、稲は順調に育ちます。
人生は東京に帰ってしまった純平のことが気になり「あの時植えた苗、こんなにでかくなったぞ」というメールと、青田の写真を純平に送信します。純平からの返信はありませんでしたが、人生は田んぼの様子を写真に撮り、件名に、「生きるぼくら」と書きこんで送信し続けます。
一ヶ月後、純平が連絡もなく突然帰ってきます。純平は、大企業にこだわらず就職先を探してみると言い、その後、農機具メーカーの子会社の営業職に就くことが決まりました。
人生とつぼみもお互いが大切な存在だと思いはじめるようになり、稲の成長とともにマーサばあちゃんも、少しずつ人と意思の疎通ができる日が出て来ました。
人生は、父親の墓参りに行った帰りのマーサばあちゃんとの会話から、人生とつぼみが持っている今年の年賀状は祖母からではなく、祖母の名前を借りて、亡くなった父が送ったものだとわかりました。
「余命数ヶ月」というのは、父のことでした。父の思いとおばあちゃんのことではなかったことを知り、二人はどんなに嬉しかったことでしょう。
稲は順調に育ち、近所の人に手伝って貰い稲刈りも終わり、お米もできました。そして、かまどで新米を炊き、皆と無事に米作りができた喜びを分かち合いました。
人生はみんなを見送った後、ここまで導いてくれた人たちに感謝しながら、祈るように母親に「母ちゃん。もしもこのメールを受け取ったなら。一度だけでいい。返事がほしいんだ」というメールとマーサばあちゃんを真ん中に人生、つぼみ、純平、そして志乃さんが肩を寄せる件名「生きるぼくら」の写真を送信します。
送信後、母からすぐに電話がかかってきます。人生は今の自分の充実している生活を母に伝えます。人生は母親におばあちゃんに教えて貰った「仲直りするとっておきの方法は、先に謝って、ありがとうってお礼を言うの」の「ありがとう」が母にやっと言えました。その言葉を聞いて、お母さんはどんなに嬉しかったことでしょう。
人生は、マーサばあちゃんとつぼみそして自分が新米で握った三つのおにぎりを持って、母に会いに東京に行きます。
人生は、母に「蓼科でお米作りをしながら、一緒に暮らさないか」と話すつもりです。
人生は、蓼科での米作りを通して、自然の力や人の温もりに触れながら、前向きに「生きる力」を取り戻して行きました。きっかけは、お母さんが「出てこい」という願いを込め、人生を残し思い切って家を出たことです。お母さんは、どんなに辛い覚悟で、家をでたのでしょう。けれども、この決断が人生が立ち直るきっかけを作ったのです。
人生は、マーサばあちゃんの「お米の力を信じて、とことん付き合ってあげなさい」という言葉の「お米の力」を「自分の力」と置き換えてみます。私も、自分に自信が持てなくなった時に、この言葉を思い出してみようと思いました。
自然の力と温かい人との関わりは、人間にとって本当に大切なことだと思いました。
人生に酷いいじめをしていた少年や今いじめをしている人に、ぜひ昔ながらの手間ひまかけた米作りを体験して欲しいと思いました。その体験を通して、自分たちの行為がどれだけ人を傷つけているか気づいて欲しいと思いました。

今日が幸せな一日でありますように。